2015年4月28日(火)
今日も暖かったですね!
夏の近づきをひしひしと感じます!
さてタイトルの「親父を超えた」ですが・・・
僕の親父が亡くなったのは32年前の4月25日
僕が中二の誕生日から二日後だったから忘れようにも忘れられない日となってます
先週土曜に無事33回忌を迎え一区切りついてホットしております
それにしても今思い出すと親父は本当にダメ親父でした・・・
あまり昔の事を思い出したくないですが、親父の成仏を願って記事にしたいと思います
信じられない内容を書きますが実話です
僕が物心ついた時から親父は毎日酒を飲んで、クダをまいて、お袋を困らせてました・・・
今ではあまり見かけないけど親父は正真正銘のアル中でした!
酔っぱらって昼間道路の真ん中で寝てしまって警察が家に来たのを今でも思い出します(笑)
そして真面目に働いた姿を見たことがありません・・・
さらに、親父がシラフだった記憶がほとんどありません・・・
どれだけお袋と兄と姉が苦労したことか・・・
久しぶりに家族そろって昔話をしたけど、そこらへんのドラマより凄いと思います
小学生だったか、親父に連れていってもらった所を思い出すと、角打ちに、パチンコ屋に競輪場・・・
全く面白くなかった事を思い出します・・・
親父から僕に買い与えられたプレゼントは当時の言い方で
「葡萄酒」いあわゆるワインですね(笑)
ジュースと思って飲んで「なんじゃこの味は!」
と吐きだしたのを今でも思い出します
そして今でも忘れられない小学校4年生の頃の思い出は・・・
親父が働かなかったので、お袋が汗水流して働いていました
その汗水たらして稼いだ1万円を親父に渡し
「グレッグに靴を買ってあげてちょうだい」
と連れて行かれた場所は競輪場!
お袋もそんなダメ親父が好きだったのでしょうか・・・
その1万円は僕の靴代と親父の小遣いのつもりで渡したのでしょう・・・
1万円をもらった親父は言いました
「儲かったら旨いの食べてとびきりの靴を買うからな」と・・・
しか~し、競輪ギャンブルは甘くない!
負けて負けて残ったお金はたったの1000円
ボロイ靴を1足買うのが精一杯
涙が出ました!
子供だった僕ですが悲しくて、情けなくて・・・
「絶対に親父みたいな人間になるものか!」
と心に誓ったものでした!!
それから僕が中学2年の春に、肝臓を壊して親父は亡くなりました・・
まだまだこれからだという45歳の若さでした!
葬式で担任の先生や友達に慰められましたが・・・
僕は正直、毎日僕らを苦しめてきた父が亡くなってホットしてました・・・
涙一滴こぼれませんでした・・・
今考えると恐ろしいですか、当時の僕はそれだけ追いつめられていたのでしょうね・・・
反面お袋は働き者で、僕らを育てるために女を忘れて朝から晩まで毎日仕事
昼間はドカタで力仕事をこなして夜は派手な化粧をしてキャバレーで働いてました
そして、いつも笑顔で弱音を聞いた事がありません
学校の給食費を払えない月があったことを思い出します
貧乏だったので、申請すれば生活保護を受けれたのでしょうが、
「そんな恥ずかしい事は出来ない」
「お前たちに恥ずかしい思いをさせられない」
と頑として生活保護を受け入れませんでした・・・
当時「生活保護を受ける」ということは恥ずかしい事と教えられた記憶があります
それにしてもお袋は3人育てるためには、どんだけ苦労したのでしょうか??
経験した人にしか分からないでしょうね・・・
僕にも分かりません・・・
僕にとって世界一尊敬する人はお袋であり、一番なりたくない手本は親父です(笑)
姉と33回忌の会食でしみじみと話したのが
姉:
「親父のおかげで私たち兄弟は鍛えられたね!」
「今のどんな苦労も親父が生きていた頃と比べると楽勝やね!」
僕:
「ほんと、そうやね!
親父のおかげで何でも前向きに頑張れる、考えられる自分があるんやね!」
今思うと過去の嫌な思い出が今となっては、自分を鍛えてくれた良い経験だったな!
と思ってます
そういう面から親父を見ると少しは親父に感謝しないといけませんね!
今、生きていた頃の親父の声と顔を思い出しながら
親父に
「親父の良かったところは外面が良かったところだね(笑)」
「今月46歳になった僕は親父が死んだ45歳をやっと超えたよ!」
「しか~し、毎日一升の2級酒に2級ウイスキー1Lを飲んでた親父の酒量は超えられないな~(笑)」
と一人心で話しながらビールを飲んでます
(*^_^*)